リラックスと瞑想の違い

今日は、スリランカ出身の僧侶バンティ・スジャータの瞑想教室に行ってきました。ヨガスタジオは、40人ほどの白人女性でびっしり。男性2名。アジア系は私1人。前回のプリンストンでのバンティの瞑想教室もそうでしたが、最近のアメリカ人の仏教への関心は,かなりなものです。

今日、バンティ・スジャータが話したことを備忘録として書いておきます。

リラックスと瞑想の違いは?

リラックスは一時的なものである。たとえば、ヨガの最後のポーズ、シヴァーサナの後はリラックスした状態であるが、帰途についた途端、日常に戻りさまざまな感情に再び翻弄される。このようなリラックスは一時的な心のトランス状態に過ぎません。

瞑想は、心の目覚めである。心の修養と自己開発。愛情、優しさ、平常心を修養していくことです。そして、それは幸せへと導きます。

さまざまな瞑想方法に迷った時は

現在、アメリカには多種多様な瞑想方法が存在しています。私がスリランカで修行していたころには、そんなにたくさんの瞑想方法があるなんて知りませんでした。瞑想はただひとつでした。ですので、多種多様な瞑想方法に迷う人の気持ちが最初はわからなかったのですが、ある時、先輩の僧侶にお茶を買ってきて欲しいと頼まれてスーパーに言った時のこと、お茶の棚に並ぶ、ありとあらゆる種類のお茶を前に途方にくれてしまいました。よく眠れるためのお茶。すっきり目覚めるためのお茶。リラックスするお茶。集中力を高めるお茶などなど。選択肢が多すぎることは必ずしも人を幸せにはしません。

では、なぜこのようなたくさんの選択肢が生まれるのでしょうか。それは人々の弱い心にあります。ビジネスは人々の弱い心につけこむのです。それがビジネスの性質でもありますから悪いと言っているわけではありません。ただ、私たちは常に、このようなことにマインドフルな状態で注意深くなければなりません。

自分を愛すること許すこと

他人のために一生懸命に尽くしている人がいました。ところが、その人は自分自身は愛せない人でした。自分自身を愛することは、利己主義だと考えていました。彼女は、こどもの頃にアルコール中毒の母親に虐待を受けて母親をずっと憎んでいました。そんな自分を愛することができなかったのです。でも彼女は他人のために尽くしている自分を非常に慈愛に満ちた人だと思っていました。

しかし自分を愛することのできない人が他人を愛することができるでしょうか。彼女は自分を愛することはセルフィッシュ(利己主義)なことだと言いました。自分を愛せなくても他人を愛することはできると言いました。でも私は彼女に他人に尽くしているようでも、実はそれは利己主義からやっていることではないかと言いました。

あなたが誰かにプレゼントをします。その相手が、もし「ありがとう」という言葉を言わなかったら、あなたの心はどんな反応をしますか?怒りますよね。つまり、あなたは他人に尽くしているとしても、実はお返しに感謝の言葉を受け取ることを期待しているのです。もしくは人に当てることによって自分が良い事をしたと思い良い気持ちになることを期待しているのです。つまりは実は自分のために他人に尽くしているのです。

彼女は、長い葛藤の末についに母親を憎む心を手放しました。If she knew better, she didn’t do that.「もし母が別のより良い方法を知っていたなら、虐待はしなかった。」憎しみの心を抱くことで一番苦しんでいるのは自分であるということに気づき、手放したのです。

(「自分を愛するために憎しみを手放したという女性」この部分ついて 、他のサイト http://hachisu-net.com/issei/gihi.html を読んでみて、より理解ができたので、引用します。)

「愛についての瞑想は、私達の内側から始めなければならないのです。私達は自分を愛している、とあなたは言うかもしれません。もしそうであるならば、自分の中に怒りの思いを持つことで、自分を害することができるでしょうか。あなたが人を愛している時、その人を害することができるでしょうか。自己を愛するとは、利己的なこと、憎しみ、怒りなどから自由になることを意味します。ですから、このような望ましくない感情を自分の中から取り除くために、自分を愛さなくてはならないのです。」

愛について。愛という言葉も、英語ではLoveでアメリカでは挨拶がわりにも使います。こどもたちが学校に行く時、行ってらっしゃいのかわりにI love you.親しい友人との電話を切る時にI love you.というようにLoveが多様されています。日本語の慈愛も英語ではLoveです。ヨガクラスや瞑想クラスではLoving Kindness meditationという瞑想がありますが、そのまま日本語に訳してしまうと、「愛と優しさの瞑想」ということで、なんだか言葉の意味がにじんでしまいます。日本語では、本当はなんと言うのだろうと思って調べてみると「慈悲(慈愛)の瞑想」でした。なるほど、ようやくピンと来ました。Loving Kindness MeditationのLoveとは、母がこどもを「慈しみ愛する」ような愛ということのようです。僧スジャータによると「愛」LOVEも人間のひとつの弱い感情に過ぎず、執着を生むものであるとのこと。言葉を多言語に訳すことは非常に難しいと、つくづく思いました。日本語の慈愛という言葉さえも、もともとの仏陀の言葉が中国語に訳された時点で、既に変容しているのかもしれません。

許し

許しという言葉は仏教の言葉にはありません。許すとは、ネガティブな感情を手放すことです。またもし本当に他人のために何かをしたりあげたりするのであれば、その場で感情的にその行為や物を手放しましょう。

追記

3日間、行方不明になっていた2歳の男の子を見つけ出した小畠春夫(78歳)さんの座右の銘が上記の全てのことを集約していると思いました。

かけた情けは水に流せ
受けた恩は石に刻め

 

 

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